
我輩は人気のない場所を好む。
雑音のない、聞こえてくるのは虫の鳴き声くらいの静けさのある場所だ。そんな場所で過ごすことで、いつもとは違う何かに耳を澄ませるのである。
それが”虫の知らせ”だ。
辞書で調べてみると、「虫の知らせ」とは、
「虫の知らせ」とは、何か良くないことが起こりそうな「予感」や「直感」のことです。根拠はないけれど、なんとなくそう感じたり、心に浮かんだりする不吉な前触れを指します。
とある。
我輩もその通りだと思う反面、我輩の場合はくだらないことであることもあって、その度合いがよくわからない。
だが、”警告”ともとれる内容もあることから、今回は我輩が感じている”虫の知らせ”について、ここに書き留めておこうとおこうと思う。
そう遠くない先で、自分に厄災が振りかかる
我輩の感じている”虫の知らせ”は、ほぼ自分の身に振りかかることが多い。
だが、その全てにおいて、今自分が生きているのはそれを感じて回避できたからと言っても良いだろう。また、防ぎきれなかったと思ったことでも、その事故や怪我によって結果的には状況を打破できたものである。
その身の危険を感じるほどの厄災が、そう遠くない先で起こるという。しかも、その厄災は自分以外の人も影響を受けるというものだ。
何が起こるかは、直前にならないとわからない。
たとえば、阪神淡路大震災ではホントに直前で、地震の起こる数分前に飛び起き、地震の前触れを察知できたに過ぎなかった。ただ、地震などの災害では、きっと我輩のように事前に察知した方は少なくなかったのではないだろうか。
地震に関して我々日本人は、結構敏感に反応するものらしい。
”虫の知らせ”が教えてくれたものは回避または引き延ばせる
我輩の経験から言えば、”虫の知らせ”が教えてくれたことについては、自分の行動次第で”回避”あるいは”引き延ばし”をすることが可能であることである。
事故や怪我などは”回避”。
現象である場合は”引き延ばし”といった具合だろうか。
自分に振りかかるであろう”厄災”については、今、現実味を帯びようとしていることがひとつある。
それについては、”回避”もしくは”引き延ばし”ができるように行動中である。
明確にわからないところが、とてもはがゆい。
(わかってしまうと逆にある意味怖いが)
この”虫の知らせ”は、結構自分では信じている分、何が起こるかわからないことに他人を巻き込みたくない。
だから、我輩は引きこもる。
できるだけ静かな場所で。
耳を澄まして教えてくれる”その人”に問いかける。
「何が起こるの?」
「それは痛いですか?」
「苦しいですか?」
「家族は守れますか?」
「誰かの迷惑になることですか?」
返答はなく。今は”その人”はただ黙って我輩を見つめている。
”その人”が言ったことはただひとつ「記せ(しるせ)」だった
この言葉にどういう意味があるのかわからない。
何を記すのか。
思えば、「書くしごと」を始めたから今、書けている。だが、それが自分の得意とする車中泊で良いのだろうか。
何の関係があるのかもわからない。
だが行動するしかない。書くしかないのである。この先にある未来は、”その人”にしかわからないのかもしれないし。少しずつでも変わっていっているのかもわからない。
ただ、自分が感じている危機感と一致するのであれば、行き先の不安は増すばかりである。
そう。
不安を少しでも拭いたいと考えるのであれば。
書くしかないのである。
仕事が終わり、車に戻り煙草に火をつける。
Googleマップを見つつ今夜の寝床探しをしながら、一緒に”ネタ”探し。
これが最近の、我輩のアフターライフだ。
車中泊生活の終わりはまだまだ先であることを願って…我輩は今夜も車の中で記事を書く。